サッカリン駒田のHound Egg

whole lotta love

2015.01.31.Sat.01:26
ヴォーカリストたるもの専用のマイクぐらい持っておきたいと思いましたがなにぶんに田舎町のこと・・・
食料品、日常品などはたいへんリーズナブルで求めやすいわけですが、なんかちょっとしたそれ以外の物を買いもとめるにはかなり探し歩かねばなりません。
昔はタダでもらったマイクを使う事もなく持ってましたがマイクって買うと意外に高いものです。



むろん、今時ですからネットで買えばお手軽なわけですがこうした常に愛用するものはぜひ、現物を見て納得いく買い物をしたいものですね。
それでまぁクラリオンのなんとか600というのを買い求めてきたわけですがさすがスタジオのマイクより出力も高くてクリアな音が出ますね。
ただ問題は常設のスタンドに合わないんですよ。
細くてグラグラする。
それでしょうがないから、ほとんどの曲をハンドマイクで歌うわけですが自分は日頃。リハも終盤になってバテてくるとハンドマイクに切り替えてました。

動くと声が届かないからです。
そこで出力の高いマイクを手に持って歌うと狭いスタジオでハウリングの嵐となります。
困ったもんだ・・・

レッドツェッペリンの「胸いっぱいの愛を」です。
同世代の貴兄には馴染みの曲と思いますが全盛期のロバート・プラントかっこいいです。
自分にとって、スタンドに立てたマイクに向かって歌ううちはパンクなのですが手に持つとロバート・プラントになってしまうのです。
いわゆる「サブリミナルコントロール 刷り込み」ってやつでしょうね。

それはそれで悪くはないと思うのですがこの曲ってツェッペリンの4時間にもおよぶライヴの終盤に歌う曲です。
これはアルバムにライヴ映像を被せたバージョンですがライヴでみたらさすがにバテバテなんですよ。
ちなみにこの曲ってライヴでは普通に15分ぐらいあります。

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somebody get me a doctor

2015.01.30.Fri.01:12
もう、なんかねぇ。
話が長いというか、いちいち説教じみてるというか・・・若い頃はそんな人間にだけはなりたくないと思っていましたが気づいたら余計な話が多いですよね。
年をとるとは残念な事にそういう事なのでしょうか。



また、よく分からん事を宣ておりますが「なぜ、天皇はなにもしないのか?」についてです。
これを若い人に説明するのはたいへん難しい事なのですが日本国は天皇の国なのです。
これはずっと昔から現在に至るまでそうで、こんな国は地球上で日本国だけです。
だから天皇陛下の仕事は「私が天皇です。」という事です。

まぁそういう話なのですがついでにいわゆるアジア諸国や反体制派に対する個人的な憤りを訴えたり、これが説明できる大人が何人いるか?的な事をアピールしてみたりと・・・

自分は見て聞いて考えた何か受け継ぎたいとか、ちょっと尊敬されるような格言じみた事を言ってみたいとか、そんな所なんでしょうかね?
年をとるほど聴く側に回りたいものです。
そして訊かれたら答えてやりたいものです。

ところがなかなか、寡黙で人のいい人間には話し易いけど意見を求める事ってそうはないという所が現実ですね。
そんなフラストレーションから自分を偉く見せたいみたいな願望がつい、湧いてしまうのでしょうかね。
まぁそれはいいとして、問題はフラついでについ、グレートカブキばりの毒霧を含んでしまうところですね。
いや、むしろ辻説法の主体が毒なのかも知れません。

今日はヴァンヘイレンで「somebody get me a doctor」いってみましょうか。
これはねぇ。エレキ買って最初に買った教則本の付録についてたソノシートの曲です。
別にヴァンヘイレンそんなに好きでもないのですがエレキ弾きたさに必死で練習した曲でして・・・まぁ、弾けませんでしたが今さっき突然思い出して、たまたま傍らにあったアコギを手にとってもだいたいナンチャッテでちゃんと弾けました。
鍛錬というのはそういう事なんでしょうかね。
エディはまあ許せるけどデイブのヲッサン様・・・見る影もないです。
だけど彼らはまだまだヴァンヘイレンです。最近の曲も少し聴き入りました。
鍛錬とはそういう事なんでしょうね。
それは今まで見て聴いて考えた事だけをアピールする事ではなく、今も前を向いて生きる事。
その時ようやく人は今までの経験を評価してくれるような気がします。







my fathers eyes

2015.01.13.Tue.01:03
人から、ある話の事柄に「名刺をばらまく職種の方はぜひ、気をつけてください。」という言葉を聞いて、ふと父親を思い出したので今日は親父の話を書いてみたいと思います。



どこかでした事もあるお話ですが自分の父親は二度亡くなってます。
一度目はそう、今から10年程も前の事と記憶します。
自分はこの方に直接お会いしてないのですが、とある女性が妹の宅を訪ねて来まして「・・・さんの(父親の)遺骨です。」と
手に携えた骨壷を差し出したとか・・・
その時から5年前に和歌山で亡くなっていたとの事です。
チリジリになった家族を探すのに実に5年かかってようやく妹の消息に辿りついたそうです。
遺したものも少しあるし、できれば分骨してもらえまいかと言ったそうです。

「・・・やって。兄ちゃんどうする?」
「ンなもん、くれてやれ。何をどれほど遺したんか知らんけど、それも諸共くれてやれ。」

好き勝手に生きた生涯を看取ってくださった方なのでしょう。
たとえ、ちょっとした遺産とか価値あるもの(父は骨董趣味でした)を遺したとしても自分達に受け取る謂れはありません。

それはそれで終わって、自分はついぞその方とお会いする事もありませんでした。
また、それからどうなったのか経緯も知りませんし、当時はまだ存命してた母にも知らせてませんでした。

さて、それから3年も経った一昨年の事。
大阪の警察から「お身内らしい方が昨夜亡くなったようなので二、三確認をとりたい。」と連絡があったのです。
母はすでに亡くなっておりましたので自分は妹か、あるいは子供達かと思いました。
電話で氏名と本籍の確認をすませた後に、しばらくしてから別の担当刑事からあらためて詳細を告げる連絡がありました。

「父はもう、7~8年前に和歌山で病死したと聞いておりますが本人ですかね?」
「そうですねえ・・・最後に会ったのは二十代半ば。長男がまだ赤ちゃんだった頃ですから、30年近く会ってませんね。」

警察では身分証から判断して、その時亡くなった方が本物だったようでした。
最初の方がどういう経緯からか、5年を要して妹に辿りついたに対して警察はイカサマくさい運転免許証の更新から九州にいる自分を探し当てたようです。


さて、最初の話に戻りますが「名刺をばらまく職種・・・」の事です。
当時の自分は小さながらも出版物をとり扱う仕事をしておりまして、月に500枚の名刺が支給されました。
営業職ではないのですが、それをほとんど配って歩いてしまう。
ある日の昼前ぐらいに父から会社に電話があって近くのレストランで昼食を摂ったわけです。
ひさしぶり・・・もう、数年ぶりに会いました。
数日前に北京から戻った。来週にはマレーシアに行く。
そう言えば、その数年前にも不法滞在で北京から強制送還されてきたが本来なら身内でなきゃ引き渡せないところを今すぐ成田まで来いとは言えない。
代理人に引き渡しても構わないか?といったような連絡が入管からありましたね・・・
そんな事を言っておりましたが、父はどこから手に入れたものか自分の名刺を持っていたのです。
それで連絡がついた。・・・無論、まだ携帯のない時代です。
ただ、その出版社に在籍してたのは4ヶ月足らず。バラまいた名刺は概算で1500枚ほどですか。
他所ではどうか知りませんが大阪の商法は顔と名前を完全覚えてもらうまで同じ場所に名刺を置き続けます。
「あるからいらん!」言われても置いて帰りますから1000枚は重複してるとして、700人ぐらいに名刺を配りましたか・・・
そのうちのたった1枚でも4ヶ月以内に巡り巡って父親の手に渡ったって結構プレミアですよね。
いや、理論はともかくとして今だから言える事ですが親ってなぜかそんなもんなんです。


エリック・クラプトンって嫌いなんですよね。
無論、レイラぐらいは弾けますけど最初に聴いたクリームがイマイチだった事。
映画も見ましたけど、参考になったのはネックに線香みたいにタバコを突き刺す事ぐらいで、あのダラダラ長いセッションにはウンザリします。
これはあくまで個人の好みのお話ですけどね。


最近、ふと思うのですが昔から親父の話は「話し半分」です。
どこまで真実なのか知れたものではありませんが北京から帰って来たり、二度死んだり・・・
自分の父親ってジェームス・ボンドだったんですかね?
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